『シベールの日曜日』

cinemachouchou2005-02-18

おそらく最も号泣した作品はこの「シベールの日曜日」(今のところ)。また放送された。嬉しいけれどやっぱり号泣...暫く何も出来なくなってしまうのだ。夜の放送で良かった。


初めて観た時はシベール(フランソワーズ)にばかり感情移入していたと思う。そして、「可哀想なシベール...。」と。しかし、今はピエールもその恋人のマドレーヌもあまりにも悲しい結末だと痛感する。そして、同時に今はとても多くの世間の目に対する怒りの様なものさえも。マドレーヌはピエールをとても愛していた。戦争の恐怖から記憶を失い精神を病むピエールが少女と無邪気な笑顔で楽しく過ごしている様子をそっと見つめて優しい面持ちで戻っていくシーンなどでもよく分かる。(実際、お話がまだまだ続くと問題も生じるのかもしれないけれど。)


こんな風に考えるとどちらかの死が必要だったのだろうと思う。生の苦悩から少し開放されて来たピエールにとって、12歳の少女の存在は光の存在。一緒に少年に戻っていた。でも、傍目には大人と少女。この光景は好奇の眼差しと邪推により噂となる。そして、悲劇の結末が近寄ってくる。


12歳のパトリシア・ゴッジだったからこその可愛らしさ。でも、時々大人びた物言いと眼差しを向ける。兎に角可愛い!それにしても、本名を封印されフランソワーズとして寄宿学校にあずけられる孤独な少女の心の空虚さなど大人は分かりはしない(私だって)。唯一、お互いの孤独を埋め合わせる事の出来る存在であったピエールとシベール。何よりも美しいモノクロの映像と音楽がその心の清らかさを物語っていたと思える。


教会の風見鶏を勝手に取ったりは良くないけれど(きっと、元に戻した様に思うけれど...)、シベールにとって生まれて初めてのクリスマスの夜(楽しい)だった。小さな箱の中に本名を記した紙切れにはCybeleと。大地と樹木の古代の神の名だそうだ。美しい響き、シベール。初めての楽しいクリスマスは最悪の記憶となりシベールの「もう私には名前は無いの。」と泣くあの顔が忘れられない...。また、目が腫れる位に泣いてしまった。そして、私の「森」のイメージにはどうしても欠かせない映画であるのだと強く感じた。フランソワーズ...私の好きな森の妖精の様な名でもある。



シベールの日曜日」:CYBELE OU LES DIMANCHES DE VILLE D'AVRAY
1962年 フランス映画 セルジュ・ブールギニョン監督
出演:ハーディー・クリューガー、パトリシア・ゴッジ、ニコル・クールセル